松井千枝子

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1899年 - 1929年。画家(美人画)、歌人でもあり、シナリオも執筆した。29歳の若さで亡くなった。([[参考文献]]#42 p554-557)  
 
1899年 - 1929年。画家(美人画)、歌人でもあり、シナリオも執筆した。29歳の若さで亡くなった。([[参考文献]]#42 p554-557)  
  
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「盆興行 映画界の陣立て」
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「お化け」で出世の女優 「郊外の家」で又化けて出る松井千枝子
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 お盆興行に妖怪(おばけ)じみたものばかり出すのも不思議はないかも知れないが、松竹キネマが目下蒲田で撮影中の作品はどれもこれも怪談的傾向をおびていた。たとえ
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ば、伝明の幻想劇「象牙の塔」は前にも述べた通りだが、栗島すみ子の「悲しき恋の幻想」、筑波雪子の怪談「郊外の家」等、いずれもそう云ったものばかり。ところで「郊
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外の家」は重宗監督の昇進第一回の作品だが、主演の筑波と同映画に共演する松井千枝子さんは「蒲田の幽霊女優」と定評のあるほっそりした女優さんで、怪談ぞろいの盆興
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行にはうってつけの適(はま)り役だ。しかも松井サンが国活から松竹に移って以来、出演した役はすべて幻影や幽霊ばかりなのも不思議だが、これは松井サンが「大地は微
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笑む」でお京の幻影をつとめて村田博士を苦しめた、その幽霊ぶりがとてもよかったと云うのが始まりだそうな。ところがこの女優さん、前身は閨秀画家で、その画家時代に
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も幻影や幽霊が大好きで、そんなものばっかりかきのたくっていたと云うから「蒲田の幽霊女優」の名あるも決して偶然でないかも知れない。
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「でも私は奇麗な幽霊が好きなのヨ。きたない妖怪(おばけ)は大嫌い。たとえば«ぼたんどうろう»(原文は傍点)や墨染のような美しい亡霊が堪らなく好きなのです」との
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朝日新聞 大正14年(1925年)6月30日夕刊より 現代的仮名遣いに直しています
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==別表記==
 
==別表記==

2020年1月17日 (金) 14:40時点における最新版

Matsui Chieko


1899年 - 1929年。画家(美人画)、歌人でもあり、シナリオも執筆した。29歳の若さで亡くなった。(参考文献#42 p554-557)

「盆興行 映画界の陣立て」
「お化け」で出世の女優 「郊外の家」で又化けて出る松井千枝子

 お盆興行に妖怪(おばけ)じみたものばかり出すのも不思議はないかも知れないが、松竹キネマが目下蒲田で撮影中の作品はどれもこれも怪談的傾向をおびていた。たとえ
ば、伝明の幻想劇「象牙の塔」は前にも述べた通りだが、栗島すみ子の「悲しき恋の幻想」、筑波雪子の怪談「郊外の家」等、いずれもそう云ったものばかり。ところで「郊
外の家」は重宗監督の昇進第一回の作品だが、主演の筑波と同映画に共演する松井千枝子さんは「蒲田の幽霊女優」と定評のあるほっそりした女優さんで、怪談ぞろいの盆興
行にはうってつけの適(はま)り役だ。しかも松井サンが国活から松竹に移って以来、出演した役はすべて幻影や幽霊ばかりなのも不思議だが、これは松井サンが「大地は微
笑む」でお京の幻影をつとめて村田博士を苦しめた、その幽霊ぶりがとてもよかったと云うのが始まりだそうな。ところがこの女優さん、前身は閨秀画家で、その画家時代に
も幻影や幽霊が大好きで、そんなものばっかりかきのたくっていたと云うから「蒲田の幽霊女優」の名あるも決して偶然でないかも知れない。
「でも私は奇麗な幽霊が好きなのヨ。きたない妖怪(おばけ)は大嫌い。たとえば«ぼたんどうろう»(原文は傍点)や墨染のような美しい亡霊が堪らなく好きなのです」との
仰せ。

朝日新聞 大正14年(1925年)6月30日夕刊より 現代的仮名遣いに直しています

別表記

  • 松波美子


出演


家族

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